金沢大学人間社会研究域附属 グローバル文化・社会研究センター

NEWSニュース

[活動報告] 2024年1月28日WS「文化と記憶の継承とその行方」

 2024年1月20日、グローバル・レジリエンス部門主催によるワークショップ「文化と記憶の継承とその行方」が開催された。本年1月1日に発生した能登半島地震の衝撃がいまだ県内でも大きいなかでのワークショップ実施であった。開会冒頭、中野涼子氏(金沢大学国際学系、グローバル文化・社会研究センター)より趣旨説明がなされたが、その説明のなかでも記憶の継承、記憶の不均衡の問題がすでに浮上しているのではないかといった問題提起が行われた。

 

 

 第一報告は木村至聖氏(甲南女子大学)「“Absent Heritage”としての軍艦島?――ヘリテージ化の未来」である。同報告では、「ヘリテージ」を社会的構築として捉える英語圏の批判的ヘリテージ研究を援用しながら、木村氏が長年研究を行ってきた軍艦島こと端島の事例による議論を行っていただいた。端島の世界遺産としての認定に結びついた公式の価値はあくまで産業遺産としての価値であり、公的施設としての軍艦島ミュージアムの語りも産業遺産としての価値に接続されている。一方、ガイドである元住民から語られるのは生活記憶であり、メディアによって消費される「軍艦島」もしばしば生活記憶と結びついたイメージである。両者の断絶は公的予算による保護にも反映され、保護される護岸壁と崩落が進む職員住宅のような対比的状況を生み出している。しかし、生活記憶の側にも、異なる時期の記憶を同時に併存したイメージにおいて語るような選択された記憶としての側面、あるいは記憶に近いフィクションとして生み出された要素を多分に備えてもいる。このようなヘリテージがもつ構築性への補完として、ヘリテージにおける不在(absent)への想像が寄与しうると木村氏は論じた。

 第二報告は飯田玲子氏(金沢大学基幹教育院、グローバル文化・社会研究センター)「「ラーワニー」とは誰のものか?――インド・マハーラーシュトラの大衆芸能とその担い手をめぐる価値位置付けの動態」である。大衆芸能というものの担い手をめぐる問題に関する報告であった。伴奏つきの舞踊であるラーワニーは元来流浪的な集まりを実施母体としており、そこには異なるカーストの成員が混在していた。振付などの技術の継承は師弟(グルとシーシャ)の関係に沿って行われ、明確な流派形成はみられなかった。また技能的にも相互の技術的引用が多く、流派の同定も難しかった。2000年代以降、ラーワニーが文化財として指定を受けたのに続いて、メディア上のインフルエンサーによるモチーフの利用が見られるようになっている。ただし、モチーフの利用・模倣は伝統的文化財への冒涜であるとの批判がみられる一方で、ここには新たな振り付けの創造といった古典舞踊としての固定化に当てはまらない大衆芸能としてのラーワニーの側面もみられる。こうした現象はラーワニーのモチーフが「誰のものか」、あるいは「誰が自分のものと考えているか」の特定を難しくしている。

 

 

 第三報告は、高原耕平氏(ひょうご震災記念21世紀研究機構(当時)、現・国土技術政策総合研究所)「災厄のミュージアムの役割と現状――モノとカラダとダイアログをひらきなおす」であった。高原氏は7日に能登町入りし、その帰路に参加をしていただく異例の状況のなかで報告を行っていただいた。報告内容は高原氏の「人と防災未来センター」での活動をふまえながら、戦災・自然災害・公害などのミュージアムを「災厄のミュージアム」という一つの概念で捉え直すとともにその課題を論じるものであった。「災厄のミュージアム」と捉えうるトラウマティックな現象を物質的に展示する場所の整備は1990年代以降増加を見せてきた。だが、見せる側の充実に比して、記憶を「伝達される側」の事情がしばしば見過ごされがちでもある。このような問題系に対して高原氏らが試みたのがワークショップ「さわる、そっからかんがえる」であった。同イベントではミュージアム所蔵の阪神大震災当時の避難所物資を使いながら、身体的な体験を通じた新たな意味付けとつながりの創造がめざされた。

 第四報告は、久保豊氏(金沢大学国際学系、グローバル文化・社会研究センター)「文化と記憶の継承の「規範的」な時間性と空間に抗うこと――企画展「Inside/Out──映像文化とLGBTQ+」を例に」である。本報告では、久保氏自身の企画展「Inside/Out──映像文化とLGBTQ+」キュレーション経験と、それにまつわる摩擦の経験からの考察を話していただいた。この企画展は、博物館所蔵の映像関連資料を展示し、現在の博物館における性的マイノリティ関連資料の現況と限界を示しながら、性的マイノリティの経験を描く映像作品の受容にまつわる歴史的プロセスを可視化して展示するものであった。展示物には書き込み入りの脚本、工程表、メモなどが含まれ、当時の性的マイノリティをめぐる社会情勢が作品製作にどのように反映されたかを実証的に示す構成をとった。企画展は外部より大きく評価を受けたにも関わらず、同一所属内のダイバーシティ推進部門の支援を得ることはできなかった。一連の経験においては、そこに存在するということだけを求められるかのような「ダイバーシティ・ワーク」の課題と、過去の回復にあたってアーカイブが果たしうる可能性が示されたという。

 

 

 四報告の終了後、フロアを交えての全体討議が行われた。討議の内容は多岐に及んだが、議論の柱となっていたのは、記憶の不安定さと、その不安定さに対するアカデミシャンのスタンスについてであったもののように感じる。記憶そのものは個人の記憶であれ、集団による記憶であれ、本質的に不安定であり、すべての事象を網羅的に記憶として保持しつづけることはできない。ゆえに記憶は歴史や物語の形態をとって継承されるのであるが、それらにも現在や未来の受け手による再構成が生じうる。再構成に対して、その創造性を指摘することはアカデミシャンが担いうる役割の一つではあるが、記憶というものが担い手のものであるならば、どこまでの介入が許されるのかは議論の余地がある。
 またモノは記憶伝達の有効な媒介物として残り得るが、それに付随した文脈は記憶と同様に容易に脱落したり組み替えられたりしてしまいがちである。アーカイブされたモノをいかに見せるか=展示への介在はアカデミシャンが担いうる役割の一つである。他方で、さまざまな解釈の余地を残したままでモノを保存してゆくことも本来的には重要なのだが、モノそのものの保存をめぐる厳しい社会状況のなかで、いかにアーカイブを維持していくかの危機的状況に対しアカデミシャンが立ち回る意義といったことも示唆された。

 

報告者:前野清太朗(グローバル文化・社会研究センター)

※ 文中各報告の概要は報告者による整理であり、実際の報告内容と齟齬があった場合の責は報告者個人に帰する。