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[イベント 1/7] 公開ワークショップ「「長い災後」に向けて ―― 被災後の時間と記憶を考えるワークショッ」
2025年1月7日(火)15時より、金沢大学人間社会研究域附属グローバル文化・社会研究センター グローバル・レジリエンス部門では下記の公開ワークショップを開催いたします(現地・オンライン併用のハイブリッド開催)。
タイトル:
「長い災後」に向けて ―― 被災後の時間と記憶を考えるワークショップ
日程:
1/7(火) 15:00-18:00 (台湾時間14:00-17:00)
実施方式(ハイブリッド開催):
・金沢大学内会場:角間キャンパス総合教育棟5階D4教室
・ZOOM事前登録リンク:https://kanazawa-university.zoom.us/meeting/register/tZYrf-igqDosGNCJWEhWWIGrHb_m3h0mOZbs
開催趣旨:
災害はローカルなコミュニティをさまざまな形で強制的に変化させてしまう。被災コミュニティに対しては、発災直後の急性期より外部からの資源投入が行われ、続く復旧期には住宅再建・インフラ再生に向けた技術的なプロジェクトがすすめられていく。もちろん物理的な施設が旧に復することで直ちに災害が終結するわけではない。人々は災害を契機に変化した各自の生活と社会関係を新たな安定状態に向けて調整していかなくてはならない。そしてこの調整の過程は、大規模な外部資源投入・技術的介入が終わったあとも、十年以上のきわめて長いスパンで続いていく。本ワークショップでは、被災コミュニティの人々が災害を期に巻き込まれていく複数のタイムスパン=「時間」と、人々が災害前・災害後を自らのタイムスパンのもとで改めて理解し直していこうとする試み=「記憶」に着目して、「長い災後」について考えてみたい。
パネリスト1:
呂怡屏(国立台湾歴史博物館)
「八八水害十五年を振り返って──記憶を繋ぐ場としての博物館」
パネリスト2:
横山智樹(日本学術振興会PD)
「原発災害後の被災集落再編プロセス──「復興」と「時間」の交錯から」
コメンテーター:
洪郁如(一橋大学大学院社会学研究科)
久保豊(金沢大学国際学系、人間社会研究域附属グローバル文化・社会研究センター)
原田魁誠(金沢大学経済学系、人間社会研究域附属グローバル文化・社会研究センター)
司会:
前野清太朗(金沢大学人間社会研究域附属グローバル文化・社会研究センター)
主催:
金沢大学人間社会研究域附属グローバル文化・社会研究センター グローバル・レジリエンス部門
共催:
日本学術振興会科学研究費助成事業 基盤研究(B)「台湾におけるパブリック・ヒストリーの実践と日台の歴史認識:越境する視座の構築」
報告1要旨(呂):
本発表は、被災地における文化復興に博物館が果たす役割、および長い災後に博物館がコミュニティに位置づけられる状況について博物館学の視点から検討するものである。事例として、2009年の八八水害が引き起こした土砂災害の後に設立された「小林(シャオリン)平埔族群文物館」の展示と地域住民との関わりを取り上げる。
1999年9月21日の台湾大地震(九二一大地震)以降、台湾の博物館は災害がもたらした自然環境・社会・文化に対する影響の検討をはじめた。各博物館は自然災害に関する科学教育と、文化財保存・文化伝承という二つの側面から展示企画を行うようになった。このような趨勢の中で生じた八八水害の自然・文化的な被害は、改めて災害と人間の関係、そして被災地における生活と文化の再建への関心を人々の間に呼び起こした。甚大な被害を受けた小林集落と同集落に住んでいた平埔原住民のタイヴォアン人住民の文化を再興するため、公立博物館による災害救援と文化復興への協力がなされた。とくに小林集落がある高雄市の高雄市立歴史博物館は小林平埔族群文物館の完成までの準備と企画に取り組んだ。
小林平埔族群文物館の常設展示企画チームは被災者からの協力や意見を取り入れ、集落の歴史を踏まえた過去の小林集落の生活再現展示を試みた。展示は、集落住民の個人レベルの記憶と災害という出来事をめぐる集団レベルの見解を公的に提示し、再構築するものであった。
他方で、被災から十五年の歳月が経ち、経営戦略や常設展示企画の停滞といった博物館運営上の課題を通じて、小林平埔族群文物館と所在地のコミュニティとの連携関係の弱まりが見えつつある。本発表を契機に、被災地で設立された博物館がコミュニティと連携して地域住民の記憶と文化を継承していくあり方についてさらなる検証を重ねていきたい。
報告2要旨(横山):
本報告は、福島県南相馬市原町区で原発から20km圏内の旧警戒区域に位置する農業集落を事例に、家族農業を基盤とした地域生活が、原発事故・避難とその後の「復興」政策によりどのように変容してきたのかを明らかにする。中でも震災前の地域生活との連続性と断絶に着目し、部分的な営農再開に至るまでの過程、そしてその過程における課題を明らかにする。
事故後の長期にわたる避難生活は、住民の帰還や営農再開を困難にした。避難指示解除後も多くの住民は避難先から家や土地の管理に通う生活を続け、帰還は徐々に進んだものの、営農再開には至らなかった。農機具の処分、農地など土地・空間の荒廃、放射能汚染への懸念、共同作業再開の困難などが、帰還や営農再開への大きな障壁となった。特に、共同で行っていた水路管理などの農業基盤の維持もままならず、個々の農家の帰還と営農再開は困難を極めた。
その中で政府・行政は、営農再開と帰還促進を目的として圃場整備事業や農業法人化を支援したが、これは結果的に農家を「法人参加による営農再開」か「農地貸出による離農」かの二者択一に追い込むこととなった。一部の農家が法人へ参加した一方で、多くの農家は法人への貸出という形で農地を手放し、「離農」を余儀なくされた。家族経営と地域の共同作業によって営まれてきた従来の農業形態は事故後の時間の経過の中で結果的に失われ、少数の担い手による大規模農業への転換が進んだ。
この「集落再編」プロセスは、早期帰還と営農再開を重視した復興政策が、現実の困難さを軽視した「選択と集中」の政策であったことを示唆している。南相馬市の営農再開率は周囲の被災市町村よりも比較的高いのは事実だが、多くの農家が離農した現実を覆い隠すものではない。復興政策は、このような地域においてはむしろ離農を加速させた可能性がある。